20世紀日本人名事典 「岡部平太」の解説
岡部 平太
オカベ ヘイタ
大正・昭和期の体育スポーツ指導者,柔道家
- 生年
- 明治24(1891)年9月1日
- 没年
- 昭和41(1966)年11月7日
- 出生地
- 福岡県糸島郡志摩村(現・志摩町)
- 学歴〔年〕
- 福岡師範学校〔明治45年〕卒,東京高等師範学校体操研究科〔大正6年〕修了
- 学位〔年〕
- 医学博士(久留米大学)
- 経歴
- 大正2年講道館入門、二段を授与される。6〜9年米国に留学、シカゴ大学で体育理論、スポーツ生理学などを学ぶ。東京高等師範学校講師などを経て、11年満州体育協会を設立、理事長に就任。大連に当時としては最大規模のスタジアムを建設し、昭和3年には日仏陸上競技大会誘致に成功するなど、スポーツ近代化のために尽力。4年馮庸大学名誉教授となるが、8年満州事変が勃発、関東軍に逮捕され、すべての公職を失う。戦後の23年、福岡国体専務局長に就任、競技場を“平和台”と命名。マラソン選手育成にも取り組み、26年ボストンマラソン監督。以後は執筆活動が主となる。その後、福岡学芸大学(現・福岡教育大学)、九州産業大学教授などを歴任し、日本のスポーツ再生に力を注いだ。柔道8段。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報