岩井庄(読み)いわいのしよう

日本歴史地名大系 「岩井庄」の解説

岩井庄
いわいのしよう

蒲生がもう川・小田おだ川下流域、および現町域の海岸一帯を庄域としていたと考えられ、庄内吉田よしだ保があった。暦応三年(一三四〇)一一月二四日の足利尊氏安堵状(吉見家譜)に「因幡国岩井庄」とみえ、吉見右兵衛権佐が尊氏から当庄などの所領を還付されている。康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」によれば三上近江入道が「因州岩井庄段銭」一〇貫文を上納しており、現地の支配には新井の道竹にいのどうちく城に拠っていたとされる幕府奉公衆の三上氏が当たっていたことが知られる。室町時代には二条家が本所で、二条家祗候人坊門氏が出家に際して京都相国しようこく寺大徳院に領家職を寄進した。しかし応仁文明の乱以後、塩冶信濃守が押領、文明一五年(一四八三)幕府から同寺に還付する命が下されたが、同一八年にわずかな年貢が上納されただけであるうえに、浄土宗の良が坊門からの譲状があると主張して相論の最中にあるため本役を納入できないという状況であった(「蔭涼軒日録」文明一八年五月二九日条・同年六月一二日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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