岩倉具定(読み)イワクラ トモサダ

20世紀日本人名事典 「岩倉具定」の解説

岩倉 具定
イワクラ トモサダ

明治期の公爵 宮内相。



生年
嘉永4年12月27日(1852年)

没年
明治43(1910)年3月31日

出生地
京都府

経歴
岩倉具視の二男に生まれる。慶応2年天皇の側近に侍し、中御門経之ら22卿の朝政刷新建言の一人。明治元年戊辰戦争に東山道鎮撫総督、江戸開城後は奥羽征討白河口総督。3年米国に留学。5年帰国後、内務省、神奈川県などに出仕。17年兄・具綱の隠退により家督を継ぎ、18年父の功により公爵を授けられる。のち宮中に入り、23年侍従職幹事、学習院長、枢密顧問官、42年宮内大臣を歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岩倉具定」の解説

岩倉 具定
イワクラ トモサダ


肩書
宮内相

生年月日
嘉永4年12月27日(1851年)

経歴
慶応2年天皇の側近に侍し、中御門経之ら22卿の朝政刷新建言の一人。明治元年戊辰戦争に東山道鎮撫総督として活躍、江戸開城後奥羽征討白河口総督、3年米国留学、5年帰国、17年兄具綱隠退後、家督を継ぎ18年父の功により公爵、23年侍従職幹事、のち学習院長、枢密顧問官、42年宮内大臣となった。

没年月日
明治43年3月31日

家族
父=岩倉 具視

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩倉具定」の解説

岩倉具定 いわくら-ともさだ

1852*-1910 明治時代華族
嘉永(かえい)4年12月27日生まれ。岩倉具視(ともみ)の次男。戊辰(ぼしん)戦争では東山道鎮撫(ちんぶ)総督。明治17年義兄具綱の隠居で家督をつぎ公爵。帝室制度取調委員,学習院院長,枢密顧問官などをつとめ,42年宮内相。明治43年4月1日死去。60歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岩倉具定」の解説

岩倉 具定 (いわくら ともさだ)

生年月日:1852年12月27日
明治時代の政治家。公爵;宮内大臣
1910年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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