岩村三千夫(読み)イワムラ ミチオ

20世紀日本人名事典 「岩村三千夫」の解説

岩村 三千夫
イワムラ ミチオ

昭和期の中国研究者,日中友好運動家 元・中国研究所常務理事。



生年
明治41(1908)年6月8日

没年
昭和52(1977)年5月16日

出生地
新潟県

別名
筆名=中山 耕太郎

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部〔昭和6年〕卒

経歴
早大在学中プロレタリア科学研究所の活動に参加、その機関紙「プロレタリア科学」に中山耕太郎の筆名で「支那における帝国主義列強の地位」という論文を発表、以後も同紙に論文を書いた。昭和12年読売新聞社に入り、上海特派員、香港支局長、東亜部次長、シンガポール支局長、論説委員などを歴任、戦後21年退社、中国研究所の創立に参加、同所運営に尽力した。24年日中有好協会の創立に参加、最高責任者として日中友好事業に貢献した。著書に「三民主義と現代中国」「中国革命の基礎知識」「毛沢東の思想」「中国現代史」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩村三千夫」の解説

岩村三千夫 いわむら-みちお

1908-1977 昭和時代の中国研究家。
明治41年6月8日生まれ。昭和12年読売新聞社に入社。上海特派員,東亜部次長,論説委員などをつとめる。21年中国研究所,24年日中友好協会の設立にくわわり,中国の社会主義毛沢東思想を紹介。日中国交回復につくした。昭和52年5月16日死去。68歳。新潟県出身。早大卒。著作に「中国現代史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岩村三千夫」の解説

岩村 三千夫 (いわむら みちお)

生年月日:1908年6月8日
昭和時代の中国研究者;日中友好運動家。読売新聞社論説委員;中国研究所常務理事
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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