日本大百科全書(ニッポニカ) 「毛沢東思想」の意味・わかりやすい解説
毛沢東思想
もうたくとうしそう
中国共産党主席・毛沢東の革命思想で、戦略と戦術、世界認識、当面の社会主義建設の理念などを包括した中華人民共和国の国家的イデオロギーであった。マルクス・レーニン主義の中国的な発展形態ともいえるが、カリスマ的な毛沢東個人崇拝体制の極致において毛沢東思想を絶対化していたころの中国では、それをマルクス・レーニン主義の現代における最高の発展形態だと規定していた。毛沢東思想という用語は1945年の中国共産党七全大会で党規約に規定され、その後、1958年の同八全大会ではスターリン批判の影響もあって党規約から削除されたが、1965年後半から開始された、いわゆるプロレタリア文化大革命では、中ソ論争の激化とともにふたたび毛沢東思想の優位性が強調されるようになった。文化大革命は、毛沢東思想で純血化された中国共産党の再建と毛沢東思想による権力支配の一元化を求めて毛沢東自身が発動した激烈な党内闘争であり、広範な大衆を巻き込んだ「大衆運動化された権力闘争」であった。1969年4月の中国共産党九全大会で新しく採択された党規約の「総綱」のなかでは、「中国共産党は、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想を自己の思想を導く理論的基礎とする」とされた。従来の「マルクス・レーニン主義」という表現から「マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想」という表現への変化にみられるように、マルクスの時代、レーニンの時代と異なった毛沢東時代の到来が歴史的に区分されて公式に唱導されたのである。同時に「毛沢東思想は、帝国主義が全面的崩壊に向かい、社会主義が全世界的勝利に向かう時代のマルクス・レーニン主義である」とされた。ここにみられるように、毛沢東思想とは、単に毛沢東の革命思想一般をさすものではなく、それは毛沢東的な理論と実践の一つの包括的な体系として称揚されたのであり、まさに毛沢東主義Maoismといいかえることができよう。そこには、毛沢東思想こそ現代における唯一の正統的なマルクス・レーニン主義であり、むしろその最高の発展だとしてこれを普遍化しようとする願望と執念が込められていたといえよう。
とはいえ、そのような意図にもかかわらず、毛沢東思想にはやはり、半封建・半植民地の広大な土壌において中国民族の再生と統一を求める強烈な民族意識のもとに、農民主体的な武装闘争として展開されてきた中国革命の特徴がそのまま反映していたといえよう。つまり、毛沢東思想の基本的な性格としては、〔1〕農民とくに貧農・下層中農に依拠した農民主体的な革命経験の絶対化、〔2〕きわめてユニークな遊撃戦の戦略と戦術および「政権は銃口から生まれる」(毛沢東)という信念にみられる毛沢東軍事思想の全面的発現、〔3〕このような中国革命の経験を「中華思想」の拡大再生産ともいえる民族意識で支えている強烈なナショナリズム、を数え上げることができよう。
しかし、文化大革命が中国社会に未曽有(みぞう)の混乱をもたらして失敗したため、1976年の毛沢東の死後は、いわゆる非毛沢東化De-Maoizationが図られて今日に及んでいる。
中国共産党は、依然として毛沢東思想をその党規約にも掲げ、「四つの基本原則」の一つになっているが、今日の「改革・開放」政策の推進とともに毛沢東思想はもはや実質的に過去のものとなっている。1993年の毛沢東生誕100周年記念前後の時期に、鄧小平(とうしょうへい)主導の「改革・開放」路線に抵抗する保守派が毛沢東思想への回帰を唱えはしたが成功せず、かつて毛沢東思想のエッセンスを集めて全中国の「赤いバイブル」ともなった『毛沢東語録』の普及も、もはや歴史の一齣(ひとこま)になってしまった。
[中嶋嶺雄]
『毛沢東選集刊行委員会編訳『毛沢東選集』全9巻(1955~61・三一書房)』▽『中嶋嶺雄訳『毛沢東語録』(講談社文庫)』▽『中嶋嶺雄著『現代中国論――イデオロギーと政治の内的考察』増補版(1971・青木書店)』