ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネディクツス13世」の意味・わかりやすい解説
ベネディクツス13世
ベネディクツスじゅうさんせい
Benedictus XIII
[没]1423. ペニスコラ
大分裂の時代の対立教皇(在位 1394~1417)。本名 Pedro de Luna。貴族出身でモンペリエ大学の教授を務め,教会法を教えた。1375年に枢機卿(→カーディナル)となった。大分裂の発端となった対立教皇クレメンス7世(在位 1378~94)に忠誠を示し,その死後,アビニョンの教皇座を支持する枢機卿らに擁立された。当初は大分裂の収束を期待されたが,のちにフランスの王子や枢機卿など支持者の大半から見捨てられ,1398年にはアビニョンの教皇宮殿がフランス軍に包囲された。1403年にプロバンスへ逃げ,枢機卿を呼び戻してフランスの信頼も回復したが,教皇グレゴリウス12世(在位 1406~15)との交渉も成果を出せず,1409年のピサ教会会議と 1417年のコンスタンツ公会議で廃位が宣言された。1423年の死去まで自身の教皇位の正統性を主張し続け,教会統一を果たした教皇マルチヌス5世(在位 1417~31)に屈することも拒んだ。
ベネディクツス13世
ベネディクツスじゅうさんせい
Benedictus XIII
[没]1730.2.21. ローマ
ナポリ出身の第245代教皇(在位 1724~30)。1667年,ドミニコ会に入り,ベネチア共和国のブレシアで哲学を教えた。1672年に枢機卿(→カーディナル)に叙任され,マンフレドニア,ベネベントなどで大司教を務め,1724年5月に教皇に選出された。修道士としての生活を貫き,質素さで知られ,枢機卿らの浪費や聖職者の俗念を強く非難したが,効果はほとんどなかった。国政は枢機卿ニッコロ・コスキアに全面的に任せたが,コスキアの職権濫用による蓄財で治世の評価を落とした。18世紀のヨーロッパ諸国は絶対主義の支配体制にあり,フランス,スペインのブルボン家との関係はさらに悪化した。ジャンセニズムに反対したが,ドミニコ会修道士には,その教えとほぼ同じ内容の,アウグスチヌスの恩恵に関する教義を説くことを許した。学者でもあり,多くの神学関係の著作を残した。
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