岩田庄(読み)いわたのしよう(いんにゆうのしよう)

日本歴史地名大系 「岩田庄」の解説

岩田庄(院入庄)
いわたのしよう(いんにゆうのしよう)

興福寺雑役免田である。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の城上しきのかみ郡に「岩田庄十三町九反百五十歩 不輸田畠七町五反半 公田畠六町三反三百卅歩」とある。

不輸田畠の内訳と条里(括弧内は坪数)は、長谷寺免田五町が一九条四里(三)、二〇条二里(一)・三里(五)で、大神々田二町五反半が二〇条三里(七)・四里(五)である。公田畠の条里は一九条四里(一)、二〇条三里(七)・四里(六)、二一条三里(一)である。以上の条里によると、岩田庄の所在は現大字しば辺りに比定される。


岩田庄
いわたのしよう

筑後国御原みはら郡に置かれた安楽寺(太宰府天満宮)領の庄園。現小郡市東部の岩田地区の一帯に比定される。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)五月二四日条によれば、大宰府安楽寺の社僧らの訴えにより鎌倉幕府は「安楽寺領筑後国岩田田嶋両庄」地頭職を安楽寺に付している。同書に「安楽寺領筑ママ国岩田庄」とあるのも当庄と考えられ、建保三年(一二一五)菅原有成が陳弁につとめて北条泰時らの下文を得て安堵されたという。これは源平争乱の際、当庄領家の有成が平氏に与同したとして兄弟の菅原成賢が訴えたため収公されかけていたもの(同年一一月二四日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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