峰上城跡(読み)みねがみじようあと

日本歴史地名大系 「峰上城跡」の解説

峰上城跡
みねがみじようあと

[現在地名]富津市上後 環・要害

みなと川中流の舌状丘陵に築かれた中世の城跡。天文二年(一五三三)九月三日の鰐口銘(石井家蔵)に峰上之城とみえ、この年か、これより早く寛正二年(一四六一)頃に真里谷まりやつ(現木更津市)武田信長か、その子孫の信定・信興がその支城として築城したという。文明三年(一四七一)頃に信興(道鑑)が峰上領に玉木たまきの城を築き籠ったが、里見義実に攻略されたと伝える(里見代々記)。天文期にも真里谷武田氏の勢力が峰上にあったが、天文三年真里谷恕鑑の死後に子信隆と信応との家督争いが起き、同六年五月小弓おゆみ(現千葉市中央区)足利義明が信隆の居城していた峰上城や百首ひやくしゆ城を攻撃することになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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