島守館跡(読み)しまもりだてあと

日本歴史地名大系 「島守館跡」の解説

島守館跡
しまもりだてあと

[現在地名]南郷村島守 館・外館

島守の中心集落の西、新井田にいだ川左岸の河岸段丘に位置する。新井田川中流一帯を押える要衝の地で、東南に新井田川、北西山地が控える。東南の水田との比高約二〇メートル。八戸家伝記(南部家文書)に天正一九年(一五九一)九戸の乱の時のこととして「櫛曳之所持之島守楯」とあり、「南部根元記」や「三翁昔語」にみえる島守安芸が館主と推定される。島守氏は九戸方にくみしたため同年七月根城南部氏一八代政栄(政義改め)の攻撃を受け、当館は落城したと伝える。当館の北西の櫛引くしひき(現八戸市)と連携して南部信直方の根城南部氏に対抗していたが、根城南部氏の先制攻撃を受けたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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