日本歴史地名大系 「島守村」の解説
島守村
しまもりむら
天正年間(一五七三―九二)島守館に島守安芸が居館し、九戸政実方に属して南部信直や根城南部氏に対抗していたといわれる(南部根元記、三翁昔語)。島守氏は本姓を四戸氏といい、四戸氏は南部光行の四男孫四郎宗朝を祖とし、櫛引・金田一・足沢諸氏も同族とされる(奥南旧指録)。同氏が天正一九年九戸の乱で滅亡すると、当地は根城南部氏領に編入された。「三翁昔語」によれば同年一〇月論功行賞として
元和四年(一六一八)の知行目録に「八百五拾七石弐斗六升五合 嶋森」「七拾壱石九斗壱升 嶋森」とあり、藩政当初は盛岡藩に属し、根城南部氏に給されていた。同氏の給地では
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報