20世紀日本人名事典 「島村干雄」の解説 島村 干雄シマムラ タテオ 明治期の陸軍中将 生年安政3年7月2日(1856年) 没年明治43(1910)年11月9日 出生地土佐国土佐郡久万村(高知県高知市) 経歴明治6年上京して陸軍幼年学校に学ぶが間もなく退学となり、7年熊本鎮台司令長官だった同郷の先輩・谷干城を頼って兵士となり、佐賀の乱、台湾出兵に従軍。日清戦争後、第3師団参謀長となり、37年日露戦争には歩兵第12旅団長として出征。その後、久留米、弘前の各旅団長を務めた。この間、10年陸軍少尉となり、37年少将に昇進、43年11月死去に際し中将となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島村干雄」の解説 島村干雄 しまむら-たてお 1856-1910 明治時代の軍人。安政3年7月2日生まれ。陸軍幼年学校を退学後,熊本鎮台司令長官だった同郷の先輩谷干城(たてき)をたよって兵士となり,佐賀の乱,台湾出兵に従軍。日清(にっしん)戦争後,第三師団参謀長となり,日露戦争には第十二師団参謀長として出征。明治38年陸軍少将。明治43年11月9日死去。55歳。土佐(高知県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by