デジタル大辞泉 「嶋清一」の意味・読み・例文・類語 しま‐せいいち【嶋清一】 [1920~1945]野球選手。和歌山の生まれ。和歌山県立海草中学校(現和歌山県立向陽高等学校)野球部で投手として活躍。昭和14年(1939)第25回全国中等学校優勝野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)で全5試合を完封勝利。準決勝、決勝では2試合連続ノーヒットノーランを達成。明治大学に進学するも、学徒動員により、昭和20年(1945)インドシナ半島沖の海戦で戦死。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「嶋清一」の解説 嶋 清一シマ セイイチ 昭和期の中等野球選手 生年大正9(1920)年 没年昭和20(1945)年3月29日 出身地和歌山県 学歴〔年〕明治大学 経歴昭和14年海草中(現・向陽高)のエースとして甲子園で1回戦から決勝まで、全5試合連続完封。決勝、準決勝ではノーヒットノーランという快投を見せ、優勝。177センチ、75キロという当時としては大柄な体格から150キロ台の速球をくりだし、打者154人に対して被安打は8、奮三振は57にのぼった。15年は1回戦で敗退。明大に進学し、19年出征、20年3月海防艇で輸送船を護衛中に魚雷攻撃を受け、南仏印沖で戦死した。甲子園史における不世出の天才投手といわれる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嶋清一」の解説 嶋清一 しま-せいいち 1920-1945 昭和時代前期の野球選手。大正9年生まれ。和歌山県立海草中学(現向陽高)にはいり,投手として春夏連続5回甲子園に出場。昭和14年夏の大会では全試合無失点,準決勝と決勝でノーヒットノーランを達成し優勝。明大に進学するが学徒出陣で出征,昭和20年3月29日戦死。26歳。平成20年特別表彰で野球殿堂入り。和歌山県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by