太平洋戦争で戦局が悪化した1943年10月、東条英機内閣は不足する兵員を補充するため、大学生や専門学校生の徴兵猶予を停止。主に文系の20歳以上の男子が召集された。10月21日には東京の明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会が開かれた。首都圏の77校の数万人が行進し、スタンドで6万人余りの家族や女学生らが見守ったとされる。学徒は12月以降、陸海軍に入営・入隊。44年には対象年齢が19歳以上に引き下げられた。出陣した学徒の総数は10万人以上との説もあるが、明確ではない。
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太平洋戦争下で行われた徴兵猶予措置の停止に伴う学生・生徒の出陣。1931年(昭和6)の満州事変以来10年余の戦争はおびただしく兵を消耗し、とくに下級指揮官の不足は深刻な問題となり、そのため、すでに軍事教練の課せられていた学生たちに軍の目が向けられた。それまで、勅令に定められた学校(文部省認可の学校)に在学中の者は満26歳まで「徴兵ヲ延期」することができた。これに対し軍は、41年10月以降、修業年限短縮による繰り上げ卒業をもって対応してきたが、43年9月、東条英機(とうじょうひでき)内閣は「国内態勢強化方策」を決め、10月2日、学生の徴兵猶予を全面的に取り消す勅令「在学徴集延期臨時特例」を公布し、さらに同月12日の閣議で、文科系大学、専門学校は移転・統合により整理すること、また理工医系・教員養成学校以外の大学、初等専門学校の満20歳に達した学生・生徒の徴兵を決定した。同年12月1日、第1回の学徒兵の入営(陸軍)、同月10日入団(海軍)が行われた。これに先だつ10月21日、東京・明治神宮外苑(がいえん)陸上競技場で、秋雨降るなか出陣学徒の壮行会が行われた。東条首相は「諸君が悠久の大義に生きる唯一の道」と訓示、学徒代表は、「挺身以(もっ)て頑敵を撃滅せん、生等(せいら)もとより生還を期せず」と誓った。かくして徴兵猶予の特権を奪われ学業なかばで出陣した学徒兵の数は二十数万人と推定される。学徒兵は陸海軍部隊に配属され、短期の訓練を受けて、中国大陸や南方戦線、南太平洋などの前線に送られ、多くの戦死者を出した。彼らの多くは学問研究への情熱と国家的要請との板挟みにあって悩み、また戦争への疑問や日本の国家の将来への不安などを抱きながら、大陸の山野に、南海の果てに若い生命を絶った。なかでも第1回の出陣学徒の大部分は1921年(大正10)から23年ころの生まれで、もっとも多くの戦死者を出した。敗戦後の47年(昭和22)東京大学戦没学生の手記『はるかなる山河に』、49年には、全国の大学の戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』が出版され、50年4月、こうした戦争による惨禍と悲劇を繰り返さないため、次の世代に戦争体験を伝える日本戦没学生記念会(通称「わだつみ会」)が結成され、不戦と平和の活動を続けている。
[吉村徳蔵]
『文部省編・刊『学制八十年史』(1954)』▽『安田武著『学徒出陣』新版(1977・三省堂)』
太平洋戦争時に大学・高専在学生の徴兵適齢(20歳)以上の者のうち,理科系,教員養成系以外の者の徴兵延期制度を撤廃して入隊させた措置。すでに太平洋戦争開始とともに兵員の不足は深刻化し,しだいに兵力の根こそぎ動員の様相を呈していた。従来,大学,高専の学生・生徒には徴兵猶予の特典があったが,1941年10月,大学,専門学校などの修学年限を3ヵ月短縮し,同年の卒業生を対象に12月臨時徴兵検査を実施し,繰上げ卒業により合格者を42年2月入隊させた。さらに42年には予科,高等学校を加えて修学年限を6ヵ月短縮し,9月卒業,10月入隊の措置がとられた。ついで戦局悪化による下級将校の不足に対処するため,43年10月2日,在学徴集延期臨時特例が公布され,理工科系および教員養成学校を除く文科系高等教育諸学校在学生に対する徴兵延期撤廃の措置がとられた(なお,植民地の朝鮮でも同年10月学徒兵制を実施)。同時に〈昭和18年度臨時徴兵検査規則〉が公布され,10,11月に検査を実施し,丙種合格(開放性結核患者を除く)までを12月に入隊させることになった。第1回学徒兵入隊を前にして,東京では43年10月21日,文部省学校報国団本部主催による出陣学徒壮行会が明治神宮外苑競技場で開かれ,東条英機首相,岡部長景文相出席のもと関東地方入隊学生を中心に7万人が集まった。このほか各地で壮行会が開かれたが,翌年の第2次〈出陣〉以降は壮行会さえ行われなかった。また43年10月,教育に関する戦時非常措置方策が閣議決定され,文科系高等教育諸学校の縮小と理科系への転換,在学入隊者の卒業資格の特例などが定められた。さらに44年10月には徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられ,学徒兵の総数は13万人に及んだと推定される。こうして徴兵された学徒兵のなかには,青春を戦火に散らし,二度と還らなかった者も多い。そうした戦没学生の手記《きけわだつみのこえ》(1949刊)は戦後大きな反響を呼んだ。
→勤労動員
執筆者:粟屋 憲太郎
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太平洋戦争中の在学徴集延期措置停止にともなう学生・生徒の入営・出陣。政府は軍幹部要員不足の補充のため,1941年(昭和16)10月16日,緊急勅令の形式で兵役法を一部改正し,在学徴集猶予を制限した。戦局の悪化がこの方針に拍車をかけ,43年10月2日に勅令として在学徴集延期臨時特例を公布。理・工・医・教員養成以外の大学・高等専門学校在学生の徴集延期が廃止され,満20歳に達した学生は臨時徴兵検査のうえで同年12月1日に入営・入団することになった。同年10月21日の明治神宮外苑競技場での7万人の壮行会の模様は文部省映画「学徒出陣」に収録されている。
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