学徒動員(読み)ガクトドウイン

デジタル大辞泉 「学徒動員」の意味・読み・例文・類語

がくと‐どういん〔‐ドウヰン〕【学徒動員】

日中戦争以後、国内の労働力不足を補うために学生生徒工場などで強制的に労働させたこと。昭和13年(1938)年間数日の勤労奉仕が実施されて以来、戦況悪化につれて動員体制が強化され、昭和19年(1944)には通年動員となった。

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精選版 日本国語大辞典 「学徒動員」の意味・読み・例文・類語

がくと‐どういん‥ドウヰン【学徒動員】

  1. 〘 名詞 〙 第二次世界大戦中、中等学校以上の学生、生徒が、在籍のまま学校単位で、生産増強戦闘力補充のために出動したこと。昭和一六年(一九四一)八月の学校報国隊の結成に始まり、昭和一八年からは年四か月、一九年からは通年動員で、二〇〇万人以上の学生、生徒が参加学徒勤労動員
    1. [初出の実例]「三菱へ学徒動員で通勤してゐる二人の中学生」(出典:壊滅の序曲(1949)〈原民喜〉)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「学徒動員」の意味・わかりやすい解説

学徒動員
がくとどういん

日中戦争の拡大に伴う農村・工場などの労働力不足を補うための学生・生徒の強制的動員。1938年(昭和13)6月、文部省の「集団的勤労作業運動実施ニ関スル件」の通牒(つうちょう)により、中等学校以上で夏季休暇の前後などに3~5日の勤労作業が始められた。ナチス・ドイツの「労働奉仕」に倣い、かつ精神主義的教育とを結合させたものである。41年8月、文部省は「学校報国団ノ体制確立方」の訓令を発し、学校ごとに学校報国隊(団)を組織し、軍事的要請に従って学徒労務に動員しうる体制をつくった。

 1943年6月、閣議は「学徒戦時動員体制確立要綱」を決定し、戦力増強のための本格的軍需工場動員と「直接国土防衛」の軍事訓練の徹底を期した。44年3月に「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」を閣議決定、中等学校以上の生徒は男女を問わず徹底的に工場に配置されることになり、45年3月には国民学校初等科を除き1年間の授業が停止され、学徒は軍需生産、食糧増産、防空防衛に動員された。その数は45年7月には340万余に達し、最大の危機にあった軍需産業での支柱的役割を果たした。その一方学力低下は免れず、一般工員との摩擦や空腹、けが、病気、風紀問題などさまざまな問題が起きた。動員中の空襲その他による死亡者は1万0966人に達し、これには8953人の原爆死亡者が含まれ、わが国の学生史上、学徒出陣とともに最大の哀史となった。

[吉村徳蔵]

『文部省編・刊『学制八十年史』(1954)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「学徒動員」の意味・わかりやすい解説

学徒動員
がくとどういん

第2次世界大戦中に中等学校以上の生徒や学生が軍需産業や食糧増産に動員されたことをいう。 1938年から文部省は中等学校以上の学校に対して集団的勤労作業の実施を指令し,41年には学校報国隊を組織して勤労動員が行われた。 43年に「学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議で決定され,以後本格的に学徒動員が実施された。 44年には動員はさらに強化され,原則として「通年動員」の態勢となり,同年8月には「学徒勤労令」が公布された。 45年の春には国民学校初等科以外の授業は原則として停止され,全学徒は決戦体制に総動員された。同年5月「戦時教育令」により教育の決戦体制を法制化して終戦にいたっている。

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