川崎八右衛門(読み)かわさきはちえもん

精選版 日本国語大辞典 「川崎八右衛門」の意味・読み・例文・類語

かわさき‐はちえもん【川崎八右衛門】

  1. 実業家茨城県出身幕府に願い出て水戸藩の鋳銭場を設立。維新後、東京川崎組(のちの川崎銀行)をおこし、為替業務、貿易、セメント業、鉄道炭鉱などを開発して、川崎財閥の基を築く。天保五~明治四〇年(一八三四‐一九〇七

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朝日日本歴史人物事典 「川崎八右衛門」の解説

川崎八右衛門

没年:明治40.1.13(1907)
生年:天保5.12(1834)
明治期の実業家。常陸国海老沢村(茨城県茨城町)の大庄屋兼回漕問屋の家に生まれる。16歳で家督を相続。窮乏する水戸藩の藩財政を救うため藩による通貨鋳造を献策,銭座取締に任命され,自ら通貨鋳造に当たった。幕末維新期に多くの地方豪商が没落する中,川崎は鉱山,北海道開拓など様々な事業を試みながら時代の変化に対応していった。明治7(1874)年東京で川崎組を設立,警視庁など官公庁の為替業務を取り扱った。13年川崎銀行に改組,さらに14年小口の資金を集める東海貯金銀行(32年川崎貯蓄銀行に改称)を設立。金融業中心に川崎財閥を形成していった。25年には川崎金三郎(2代目八右衛門)に川崎銀行頭取の座をゆずり,監督として後見し,38年正式に引退。川崎銀行はその後,第百銀行と合併し5大銀行に迫るほどの規模となったが,第2次世界大戦下の銀行合同政策で三菱銀行に合併され,川崎財閥は解体した。

(島田昌和)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川崎八右衛門」の解説

川崎八右衛門 かわさき-はちえもん

1834-1907 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)5年12月生まれ。明治7年川崎組を創立して為替方となり,大蔵省国税取扱方を命じられる。13年川崎銀行に改組し,14年には東海貯金銀行を創設,金融業を中心に川崎財閥の基礎をきずいた。また20年水戸鉄道,29年入山採炭をおこした。明治40年1月13日死去。74歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。

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世界大百科事典(旧版)内の川崎八右衛門の言及

【川崎財閥】より

…(1)川崎(金融)財閥 銀行,保険,信託を主とする東京の財閥。水戸藩の御用達金融業者であった川崎八右衛門は,1874年に東京で川崎組を設立して官庁の為替業務を扱った。80年銀行条例の発布により川崎銀行となる。…

※「川崎八右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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