朝日日本歴史人物事典 「川崎千虎」の解説
川崎千虎
生年:天保7.12.2(1837.1.8)
明治期の日本画家。尾張(名古屋)藩士の子。名古屋生まれ。名は源六,のち鞆太郎。沼田月斎に四条派を学んだのち,京都で土佐光文にやまと絵を学ぶ。明治11(1878)年上京し,内務省勧商局,大蔵省などに出仕したのち,博物館御用掛となる。また25年から28年まで,岡倉天心の依頼で東京美術学校(東京芸大)で本邦武装沿革などを講義し,30年には同校教授となるが,31年東京美術学校騒動に際して辞職。日本美術院設立に参加し,正員となる。有職故実に通じ,門下に小堀鞆音などを輩出,やまと絵系の歴史画家として活躍した。古社寺保存会委員も務めた。
(佐藤道信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報