左沢城跡(読み)あてらざわじようあと

日本歴史地名大系 「左沢城跡」の解説

左沢城跡
あてらざわじようあと

[現在地名]大江町左沢

左沢集落の北、南に最上川、東にたてノ沢が流れる比高八〇メートルの楯山に築かれた中世の連郭式山城。置賜おきたま村山を結ぶ交通上の要地で、山頂の約五〇坪の平坦部が本丸で、四段の土塁が築かれ、岩盤に掘られた柱穴跡も発掘されている。本丸南に二の丸があり、千畳敷せんじようじきとよばれ、上部に二段の土塁がまわされている。その西に三の丸があり、中腹に幅三間の空堀があり、愛宕あたご山へと続く。三の丸の中で一番高いところは八幡平はちまんたいらとよばれ、八幡宮が祀られていた。本丸東方に寺屋敷てらやしきの地名があり、巨海こかい院が長者屋敷ちようじややしきから移されてここに置かれたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む