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左派エス・エル党 さはエスエルとうPartiya levykh sotsialistov‐revolyutsionerov

世界大百科事典 第2版の解説

さはエスエルとう【左派エス・エル党 Partiya levykh sotsialistov‐revolyutsionerov】

ロシア革命期の革命政党。エス・エル党の左右分裂は第1次大戦に対する態度に端を発している。1917年革命の過程で党主流は臨時政府を支え,土地奪取を願う農民の志向と対立したが,これを批判する左派はボリシェビキの十月革命に支持を与えるにいたり,党中央より除名された。12月3~11日(ロシア暦11月20~28日)この人々は左派エス・エル党結党大会を開いた。ナタンソンのような老幹部のほか,スピリドーノワ,カムコフB.D.Kamkov,コレガーエフA.L.Kolegaevら若い世代が中心となり,首都,バルチック艦隊,カザン,ウファハリコフなどがその拠点であった。

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世界大百科事典内の左派エス・エル党の言及

【ソビエト連邦共産党】より

…17年の二月革命後,カーメネフ,スターリンらは臨時政府を条件付きで支持する方向にあったが,スイスから帰国したレーニンは四月協議会で〈全権力をソビエトに〉のスローガンのもとに,権力奪取を主張し,またトロツキーらのグループも入党した。ジノビエフらの反対論もあったが,10月25日(西暦の11月7日)の武装蜂起により第2回全ロシア・ソビエト大会は全権力を掌握し,左派エス・エル党も加わった形での革命権力が生まれた。18年には,ブレスト講和問題や食糧問題をめぐって左派エス・エル党はボリシェビキ権力と対立したため,ここにボリシェビキの一党制が確立し,反革命軍や外国からの干渉軍との戦いが本格化する戦時共産主義期を迎えた。…

【ロシア革命】より

… この行動は25日夜11時に開かれた第2回全ロシア労兵ソビエト大会に既成事実として突きつけられた。ソビエト右派は抗議して退場し,残ったボリシェビキと左派エス・エル党,その他若干の党派は,ソビエト権力の行動綱領をもりこんだアピール,〈平和についての布告〉〈土地についての布告〉をレーニンの提案によって可決した。民主的講和と即時休戦,地主の土地の没収,軍隊の民主化,生産に対する労働者統制,憲法制定会議の召集,パンの確保,民族自決権の保障が新しい権力の目標とされたが,注目すべきことは,〈社会主義〉という言葉は含まれていなかったことである。…

※「左派エス・エル党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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