朝日日本歴史人物事典 「巨勢多益須」の解説
巨勢多益須
生年:生年不詳
7~8世紀の名族出身の官僚。名は太益須,多益首とも書く。朱鳥1(686)年,天武天皇の死去直後に起こった大津皇子の謀反事件に巻き込まれて捕らえられたが,すぐに釈放された。持統3(689)年には藤原不比等らと共にわが国最初の判事(裁判官)となり,また皇族,貴族の子弟の修養書である『善言』の編纂にもたずさわっている。同7年直広肆(大宝令制の従五位下)。慶雲3(706)年には式部卿,和銅1(708)年には大宰大弐に任じられ,翌々年,同職で死没。『懐風藻』に五言詩2首を残す文人であり,経歴から推しても当代随一の学理に精通した官僚であったようである。
(狩野久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報