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巨勢多益須 こせの たやす

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

巨勢多益須 こせの-たやす

663-710 飛鳥(あすか)時代の官吏。
天智(てんじ)天皇2年生まれ。大津皇子の謀反事件にからんで逮捕されたが,皇子の自害後ゆるされる。持統天皇3年(689)藤原不比等(ふひと)らとともにわが国初判事。のち説話集「善言」の編集にあたる。式部卿(しきぶきょう)をへて,和銅元年大宰大弐(だざいのだいに)。漢詩2首が「懐風藻」におさめられている。和銅3年6月2日死去。48歳。名は太益須,多益首ともかく。

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朝日日本歴史人物事典の解説

巨勢多益須

没年:和銅3.6.2(710.7.2)
生年:生年不詳
7~8世紀の名族出身の官僚。名は太益須,多益首とも書く。朱鳥1(686)年,天武天皇の死去直後に起こった大津皇子の謀反事件に巻き込まれて捕らえられたが,すぐに釈放された。持統3(689)年には藤原不比等らと共にわが国最初の判事(裁判官)となり,また皇族,貴族の子弟の修養書である『善言』の編纂にもたずさわっている。同7年直広肆(大宝令制の従五位下)。慶雲3(706)年には式部卿,和銅1(708)年には大宰大弐に任じられ,翌々年,同職死没。『懐風藻』に五言詩2首を残す文人であり,経歴から推しても当代随一の学理に精通した官僚であったようである。

(狩野久)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の巨勢多益須の言及

【巨勢氏】より

…許勢とも記す。奈良盆地南西部を本拠地(《和名抄》に,高市郡巨勢郷がみえる。現,御所市古瀬)とした臣姓の有力古代豪族。その祖,巨勢小柄宿禰は,武内宿禰の子と伝承されており,蘇我氏,波多氏,葛城氏らとともに,武内宿禰の後裔と称していた。巨勢氏の本拠地は,曾我川の上流に近い山間で(コセの地名は,こうした地形に基づく),紀伊に至る紀路が走る要衝である。蘇我氏,波多氏,葛城氏の本拠地とも近く,いずれの地も,曾我川の灌漑範囲であること,紀路沿いであることが,武内宿禰を共通の祖と仰ぐ同族意識をはぐくんだのであろう。…

※「巨勢多益須」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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