市原郷(読み)いちはらごう

日本歴史地名大系 「市原郷」の解説

市原郷
いちはらごう

現益田市市原町地域に所在した長野ながの庄を構成する内部の所領単位。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に長野庄の一部として「いちわら 六丁四反小」とみえる。鎌倉中期と推定される一二月一五日の某書状(益田家文書、以下断らない限り同文書)によると、宝治元年(一二四七)の文書にみえた国久の後継者国連が市原の庄務と代官職を安堵されており、嘉元二年(一三〇四)七月二七日には源茂国が市原の代官職に補任されている(「将軍奥判下文」保坂潤治氏所蔵手鑑)


市原郷
いちはらごう

和名抄」所載の郷で、同書高山寺など諸本とも訓を欠くが、名博本などにみえる市原郡の訓はイチハラであろう。市原郡の中心地であったと思われる。現市原市惣社の荒久そうじやのあらく遺跡から出土の平安期とされる土師器坏墨書銘に「市原」とみえる。国府八幡宮ともいうべき飯香岡いいがおか八幡宮が鎮座しており、それが平安末には山城石清水いわしみず八幡宮領となり、のち市原庄となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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