改訂新版 世界大百科事典 「市場通笑」の意味・わかりやすい解説
市場通笑 (いちばつうしょう)
生没年:1739-1812(元文4-文化9)
江戸後期の黄表紙作者。江戸通塩町に生まれる。名は寧一,字は子彦,通称は小倉屋喜平次,俳名は橘雫。教訓亭,三文生の号もある。生涯無妻で妹婿夫婦と住み,火災によって横山町に移る。表具師を業とするかたわら1773年(安永2)ごろから黒本・青本の作に従ったらしい。79年《噓言弥二郎傾城誠(うそつきやじろうけいせいのまこと)》ほか7種の黄表紙に通笑署名の作品を発表し,以後寛政(1789-1801)ごろまでに約100種の作があり,《教訓蚊之呪(かのまじない)》(1782),《即席耳学問》(1790)などが知られる。“通(つう)”を描く時流に乗ずることができず,児女を対象とする細かい教訓的配慮を持つ作風によって〈教訓の通笑〉と呼ばれた。
執筆者:水野 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報