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市場通笑 いちば つうしょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

市場通笑 いちば-つうしょう

1737-1812 江戸時代中期-後期の戯作(げさく)者。
元文2年生まれ。江戸日本橋の表具師。安永8年ごろから黄表紙をかき,百十余の作品をのこした。平易で訓話的なものがおおく,「教訓の通笑」とよばれた。文化9年8月27日死去。76歳。名は寧一。字(あざな)は子彦。通称は小倉屋小平次。別号に橘雫(きつてき),教訓亭など。作品に「野暮(やぼ)の穴扖(さがし)」「教訓蚊之咒(かのまじない)」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

市場通笑

没年:文化9.8.27(1812.10.2)
生年:元文2(1737)
江戸中期の戯作者。日本橋で表具師を家業とする。安永8(1779)年から天明6(1786)年までに110種ほどの黄表紙を発表。以降も享和(1801~04)ごろまでの活動をみせる。その作風は「教訓の通笑」と称されて,滑稽と教訓という,江戸戯作の根本ともいうべき二本柱を中心にすえたもので,最も江戸的な戯作者の代表といえる。天明1年の黄表紙評判記『菊寿草』には「通笑丈の作はひやうひやく(冗談)の内,つまりつまりに教訓がおじやる」と評される。<参考文献>水野稔「市場通笑伝―後裔からの発言」(『近世文芸』23号)

(中野三敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いちばつうしょう【市場通笑】

1739‐1812(元文4‐文化9)
江戸後期の黄表紙作者。江戸通塩町に生まれる。名は寧一,字は子彦,通称は小倉屋喜平次,俳名は橘雫。教訓亭,三文生の号もある。生涯無妻で妹婿夫婦と住み,火災によって横山町に移る。表具師を業とするかたわら1773年(安永2)ごろから黒本・青本の作に従ったらしい。79年《噓言弥二郎傾城誠(うそつきやじろうけいせいのまこと)》ほか7種の黄表紙に通笑署名の作品を発表し,以後寛政(1789‐1801)ごろまでに約100種の作があり,《教訓蚊之呪(かのまじない)》(1782),《即席耳学問》(1790)などが知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

市場通笑
いちばつうしょう
(1739?―1812)

江戸後期の黄表紙作者。本名市場寧一。字(あざな)は子彦、通称小倉屋小平次。別に教訓亭、三文生などと号し、俳名を橘雫(きってき)といった。江戸の人。日本橋通油町(とおりあぶらちょう)の表具師で、1779年(安永8)『嘘言彌二郎傾城誠(うそつきやじろうけいせいのまこと)』などを処女作として黄表紙界に登場し、以来、鳥居清長や北尾政美(まさよし)らの絵師と組んで、1802年(享和2)までに約100部の黄表紙作品を残した。一生独身で、その変人ぶりから「市中の仙」の評判をとったが、弟の子を愛し、その作品にも子供を対象とした古風で教訓的なものが多く、「教訓の通笑」といわれた。主要作に『教訓蚊の呪(まじない)』『即席耳学問』など。[宇田敏彦]

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