北尾政美(読み)きたおまさよし

精選版 日本国語大辞典 「北尾政美」の意味・読み・例文・類語

きたお‐まさよし【北尾政美】

江戸後期浮世絵師。本姓赤羽(のち鍬形)。名は紹真(つぐざね)。字は子景。通称三二郎。画号はのち蕙斎(けいさい)。江戸の人。北尾重政に入門。安永九年(一七八〇)の黄表紙挿絵を初筆とする。黄表紙のほか、武者絵浮世絵花鳥画を多く執筆。後年、津山侯お抱え絵師となり、狩野派を学んで肉筆画、略画絵本に専念した。代表作「近世職人尽絵詞」。明和元~文政七年(一七六四‐一八二四

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デジタル大辞泉 「北尾政美」の意味・読み・例文・類語

きたお‐まさよし〔きたを‐〕【北尾政美】

[1764~1824]江戸後期の浮世絵師。江戸の人。名は紹真つぐざね。のち鍬形蕙斎くわがたけいさいの名で聞こえた。北尾重政門下で、黄表紙などの挿絵を描く一方美人画・武者絵を発表。のち狩野かのうを学び、略画絵本・肉筆画を制作

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北尾政美」の意味・わかりやすい解説

北尾政美
きたおまさよし
(1764―1824)

江戸後期の浮世絵師。江戸の畳商の子として生まれる。初め赤羽、のち鍬形(くわがた)氏。名は紹真(つぐざね)、字(あざな)は子景、号は蕙斎(けいさい)、杉皐(さんこう)、通称三二郎。晩年は鍬形蕙斎の画名で聞こえた。北尾重政(しげまさ)の門人で、1780年(安永9)に『十二支鼠(ねずみ)桃太郎』ほか数点の黄表紙に挿絵を描き、浮世絵師としてデビューした。黄表紙、洒落本(しゃれぼん)、噺(はなし)本、滑稽(こっけい)本、地誌、随筆類など多方面の版本に挿絵を提供、また天明(てんめい)年間(1781~89)のなかばごろから美人画や武者絵、浮絵(うきえ)などの錦絵(にしきえ)を発表した。94年(寛政6)5月、津山侯のお抱え絵師となり、97年6月鍬形氏に改姓、幕府の奥絵師狩野養川院(かのうようせんいん)惟信(これのぶ)に入門した。寛政(かんせい)年間(1789~1801)なかば以降『略画式』(1795刊)、『山水略画式』(1800刊)などの画譜類を多く出版、また『近世職人尽絵詞(えことば)』(東京国立博物館)など肉筆画に主力を注いだ。

[小林 忠]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北尾政美」の解説

北尾政美 きたお-まさよし

1764-1824 江戸時代中期-後期の浮世絵師。
明和元年生まれ。初代北尾重政に浮世絵をまなび,光琳(こうりん)風,西洋画風もとりいれ,挿絵,錦絵,武者絵などを制作。寛政6年美作(みまさか)津山藩の御用絵師となる。9年鍬形蕙斎(くわがた-けいさい)と改名して狩野惟信(かのう-これのぶ)の門人となり,肉筆画に力をそそいだ。文政7年3月22日死去。61歳。江戸出身。本姓は赤羽。名は紹真(つぐざね)。代表作に「近世職人尽絵詞(えことば)」。

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百科事典マイペディア 「北尾政美」の意味・わかりやすい解説

北尾政美【きたおまさよし】

鍬形【けい】斎(くわがたけいさい)

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世界大百科事典(旧版)内の北尾政美の言及

【鍬形蕙斎】より

…江戸の畳屋に生まれ,北尾重政の門人となる。浮世絵師名は北尾政美(まさよし)。山東京伝(北尾政演)は兄弟弟子である。…

【心学早染草】より

山東京伝作。北尾政美(まさよし)画。1790年(寛政2)刊。…

※「北尾政美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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