日本歴史地名大系 「市塙村」の解説
市塙村
いちはなむら
現市貝町のほぼ中央部に位置し、
享徳元年(一四五二)一〇月四日の法印宗俊廻状(小野寺文書)に市塙とみえ、大先達宗俊は某寺宛にこの月二八日の鎌倉鶴岡八幡宮での衆会に参加すべきこと、今度は富士・二所・熊野先達に限らず山伏・聖道・神職らも参るべきことを命じている。戦国期とみられる年未詳一月一二日の佐竹義重契状写(秋田藩家蔵文書)に市場とあり、義重は大山因幡守・同孫次郎に、那須氏一族の千本氏の拠点
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報