市塙村(読み)いちはなむら

日本歴史地名大系 「市塙村」の解説

市塙村
いちはなむら

[現在地名]市貝町市塙

現市貝町のほぼ中央部に位置し、小貝(こかい)川が村の西部を南流、その支流桜(さくら)川が南東流して古宿上(ふるじゆくかみ)町・古宿下町付近で合流する。村域は広く、集落も散在しており、小貝川沿いに峯崎(みねさき)・前之内(まえのうち)、桜川に沿って仲(なか)ノ内(うち)・平(たいら)・村上(むらかみ)があり、村上のすぐ北の観音(かんのん)山(一七二・二メートル)東麓に駒込(こまごめ)、古宿上町の南東に大久保(おおくぼ)・新(しん)町、古宿下町の西方に荒宿(あらじゆく)がある。これらは近世において組をなし、組ごとに名主・組頭・百姓代を置いていた(天保一一年「手控帳」川上登喜雄文書)。荒宿から上根(かみね)村を経て祖母井(うばがい)村(現芳賀町)より宇都宮に通じる道がある。古くは「いちはにわ」ともいい、市場・市場縄とも称したという。また益子氏の一族市花直正が承平七年(九三七)荒宿に居館市花(いちはな)館を築いたことから地名があるとも伝える。

享徳元年(一四五二)一〇月四日の法印宗俊廻状(小野寺文書)に市塙とみえ、大先達宗俊は某寺宛にこの月二八日の鎌倉鶴岡八幡宮での衆会に参加すべきこと、今度は富士・二所・熊野先達に限らず山伏・聖道・神職らも参るべきことを命じている。戦国期とみられる年未詳一月一二日の佐竹義重契状写(秋田藩家蔵文書)に市場とあり、義重は大山因幡守・同孫次郎に、那須氏一族の千本氏の拠点千本(せんぼん)(現茂木町)を奪った場合には同地などを宛行うことを約束している。「那須記」によれば永禄九年(一五六六)八月二四日宇都宮勢一千余騎が市花(いちはな)輪に陣を構えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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