市子庄(読み)いちこのしよう

日本歴史地名大系 「市子庄」の解説

市子庄
いちこのしよう

現蒲生町市子沖いちこおき市子殿いちことの市子松井いちこまつい市子川原いちこかわらを遺称地とし、一帯に比定される。寛治七年(一〇九三)八月、奈良興福寺僧綱大法師等は奈良春日社領で同社の節供料所「蒲生郡市御荘」に対する近江国司高階為家の横暴訴えている。この訴えは為家が偽って官司を雇い私使を使って、庄家を損亡し神人を禁獄したというもので、為家の遠流、子孫の官職停止を要求し(「扶桑略記」同年八月二二日条)、同月二六日には奈良大衆数千人が春日社の神木を担いで入洛強訴に及ぶ事態に発展(同書同月二六日条など)、同月二八日為家の土佐配流、子息二人の停任が決定して騒動は収まっている(「興福寺略年代記」など)。なお為家は数年を経ずして召還されのち越前・丹波・備中の各国司を歴任している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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