麻生庄(読み)あそうのしよう

日本歴史地名大系 「麻生庄」の解説

麻生庄
あそうのしよう

北九州市戸畑とばた浅生あそうが遺称地とみられ、同所を含む一帯に比定される庄園。本家・領家は不明。地頭は鎌倉幕府執権北条氏一門(ただし、麻生新庄の本家は宇佐宮弥勒寺)

建長元年(一二四九)六月二六日の北条時頼袖判下文(麻生文書/鎌倉遺文一〇、以下断りのない限り同文書)に「山鹿庄内麻生庄」とみえ、山鹿庄内の当庄と野面のぶ庄・上津役こうじやく(現八幡西区)の三ヵ所の地頭代職が西念(山鹿時家)の譲状に任せて子息麻生資時に安堵されている。この三ヵ所の地頭代職は、北条時頼の死去によって代わった地頭某によって文永元年(一二六四)西教(資時か)に安堵され(同年三月二九日「某地頭代職安堵状」鎌一二)、同九年には資時が所領を処分しないうちに死去したため、その子資氏に安堵されている(同年四月二七日「某下文」鎌一四)。麻生氏は下野宇都宮氏一族山鹿氏の庶流で、資時の頃から当庄を名字の地として麻生氏を称するようになったと思われる。なお文永七年三月日の宮清弥勒寺領注進抜書(石清水文書/鎌倉遺文一四)によれば、宇佐宮弥勒寺領の麻生新庄が成立していた。

〔南北朝の動乱と麻生氏〕

 建武三年(一三三六)麻生宗教(家宗、資氏の孫)足利尊氏から軍忠を賞され(同年七月一四日「足利尊氏感状」南一)、暦応三年(一三四〇)には麻生次郎が足利直義から大和国吉野への通路にある関所の警固を命じられており(同年三月一二日「足利直義軍勢催促状」南二)、麻生氏は南北朝動乱の初期から尊氏方に属して畿内・近国で戦い、観応の擾乱に際しても尊氏方にくみしている(観応元年四月一九日「足利尊氏感状」南三など)。南北朝の動乱を経て麻生氏はその所領を拡大し(文和四年一一月二五日「一色直氏宛行状」南四など)、延文四年(一三五九)には鎌倉時代からの足利氏所領と考えられる辺久里へぐり(現福岡市西区)重富しげとめ(現福岡市早良区)などの代官になり(同年一〇月四日「足利義詮袖判御教書写」南四)足利義満の頃には幕府奉公衆になったと思われる。しかし応永二年(一三九五)には山鹿仲中・北麻生資家をはじめ小倉・上津役などの庶子が惣領の義助の所勘に従わなくなっており(同年六月六日「足利義満袖判御教書」麻生文書/筑前麻生文書、以下断りのない限り同上)、麻生氏の急速な勢力の拡大は一方では一族結合の弛緩を生み出した。

〔幕府奉公衆麻生氏と大内氏の結び付き〕

 永享以来御番帳(群書類従)には麻生上総介(家春か)の名がみえ、大内周防守(盛見か)などとともに室町幕府奉公衆のうち五番衆に属していた。


麻生庄
あそうのしよう

現蒲生町の南東部、日野川中流域右岸に位置した庄園。下麻生の山部やまべ神社に残された庄内田畠の売券や寄進状類によれば、庄域は古代蒲生郡条里の八条一一・一二・一三里および九条九里にわたり、ほぼ現在の蒲生町岡本おかもと・上麻生・下麻生・大森おおもり田井たいの一帯に比定される。麻生の地名は麻の産地であったことに由来するとされるが、古くは上麻生が上七板かみなないた、下麻生は下七板と称されていた(山部神社文書)。当庄の形成過程や初期の領有については不明であるが、保安三年(一一二二)五月一九日の平宗保譲状(蒲生文書)によれば宗保が嫡子宗継に譲渡することになった「蒲生上郡麻生庄公文職」は、宗保の先祖がこの地を開発したことにともなって所持する職であった。同職は宗継以後、宗家・家貞・僧覚尊と伝領され鎌倉時代に至っている(建暦二年四月九日「平家貞譲状」蒲生文書など)。一方、弘安年中(一二七八―八八)と推定される七月四日付の成宣奉書(山部神社文書)によれば、隣接する市子いちこ本庄「殿原井」の用水争論に関連して同庄と本所を同じくする「麻生沙汰人・名主・百姓等」は同心合力して相手方の違乱を防ぐべきであると儀俄頼秀宛に通達されている。この本所とは花山院家であり遅くとも一三世紀半ば頃には当庄は同家領となり、儀俄氏が郡奉行として事態の処理に当たったものと思われる。なお同時期のものと考えられる年未詳六月二七日の光忠奉書(同文書)によれば、今度は当庄の「登用水」について市子本庄の名主百姓と争論があり、当庄百姓の訴に基づき市子庄側の違乱停止が勧告されている。

鎌倉時代末期になると花山院家の当庄に対する領有も不安定なものとなったようで、元弘三年(一三三三)には幕府により大塔宮討伐の恩賞の地とされ(楠木合戦注文)、鎌倉幕府滅亡後の建武五年(一三三八)には足利尊氏が当庄を京都祇園社に寄進(「社家記録」文和元年一二月二六日条)、暦応三年(一三四〇)一〇月二三日には造祇園社雑掌の申請に基づき、同社造営料所の当庄に対しての武家による兵粮料と号した譴責および狼藉を停止している(「足利尊氏御教書」山部神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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