市島村(読み)いちしまむら

日本歴史地名大系 「市島村」の解説

市島村
いちしまむら

[現在地名]八幡町市島

吉田よしだ川左岸にあり、南西下流は川佐かわさ村。建武三年(一三三六)一〇月の足利尊氏充行下文(「郡上郡史」所収遠山家文書)に「遠山加藤孫四郎景房領地美濃国市島郷参分弐地頭職事」とある。永禄(一五五八―七〇)頃遠藤胤俊に属する在地土豪として「市島 吉田左京進」がみられる(「遠藤家御先祖書」慈恩寺蔵)慶長郷帳に高七三六石余とある。正保郷帳では田方三八三石余・畑方三九五石余。寛文四年(一六六四)の遠藤常友大坂御加番の人足書(郡上郡史)には、年明足軽として市島村広瀬少助、小納戸長持の者として市島村久三郎・三四郎・五兵衛がみえる。


市島村
いちじまむら

[現在地名]大垣市青木町あおきちよう安八あんぱち神戸ごうど和泉いずみ

杭瀬くいせ川左岸に位置し、付近は大垣輪中杭瀬川に挟まれた洪水の常襲地であった。揖斐いび川扇状地の末端にあたり、湧水に恵まれている。南は青木村。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に村名がみえ、村高一九五石余。正保郷帳では田高一六四石余・畑高二二石余。貞享二年(一六八五)の大垣領村々高帳では高二一一石余。慶安元年(一六四八)には屋敷所有者三人を数えたが、天保四年(一八三三)には屋敷のない無人の村となり、全耕地は西の草道島そうどうじま村三人・青木村一八人と北の川西かわにし(現神戸町)一人・和泉村二一人の分有とされたという(神戸町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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