市比野(読み)いちひの

日本歴史地名大系 「市比野」の解説

市比野
いちひの

入来いりき院の地名。市比野川流域の山間平地を中心とする地域で、現樋脇町市比野に比定される。中世史料では「いちゐの」と読まれ、市比野村・市比野名などとしてあらわれる。長寛二年(一一六四)六月一日の八幡新田宮先執印桑田信包押書(旧記雑録)に新田八幡宮領「市比野浦」とあり、前年五月に訴訟のため上洛した際、同浦の権利証文等を本家(山城石清水八幡宮祠官家紀氏)に進上してしまった信包らはその非を責められ、参洛のうえ取返して新田宮に提出することを誓っている。薩摩国建久図田帳には豊前宇佐弥勒寺領のうち八幡新田宮領「市比野十五町、入来院内没官領地頭千葉介」とあり、入来院の項にも「社領十五町弥勒寺 下司在庁種明」とある。在庁大蔵種明が下司であったが、平家にくみして没収され、千葉介常胤が地頭に任命されていた。寛元元年(一二四三)八月一〇日の迎阿弥陀仏大間状案写(国分文書)では、新田八幡宮五大ごだい(現川内市)院主迎阿弥陀仏(惟宗友久の妻)惟宗(国分)友成に譲った用作のうちに市比乃原田一丁がみえ、原田一丁を除いた市比野浦が弟師久に譲られている。弘安九年(一二八六)一〇月日の新田八幡宮石築地用途支配状(旧記雑録)では、新田八幡宮政所から筑前筥崎はこざき(現福岡市東区)などの石築地役一五町・分銭一貫七一〇文が当地に賦課されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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