市谷八幡町(読み)いちがやはちまんちよう

日本歴史地名大系 「市谷八幡町」の解説

市谷八幡町
いちがやはちまんちよう

[現在地名]新宿区市谷八幡町

市谷八幡宮社地の南側を占め、外堀端の通り(現外堀通)に南面する片側町。東は洞雲とううん寺境内、通りを挟んで南は市谷田いちがやた町四丁目、西は尾張藩上屋敷・市谷八幡宮別当東円とうえん寺境内、北は東円寺境内・洞雲寺境内。町屋は表間口が田舎間で六四間余、裏行は東側が一七間、西側が一五間。寛文三年(一六六三)町奉行所の支配となった。同八年牛込榎うしごめえのき町からの出火類焼、翌年の再建にあたっては、当地が出火の際に大久保・青山の根来組衆や四谷・市谷の御家人諸組が集まる寄場となっていたために大下水際から四間分、町屋を下げるよう命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む