市野坪村(読み)いちのつぼむら

日本歴史地名大系 「市野坪村」の解説

市野坪村
いちのつぼむら

[現在地名]見附市市野坪町・本所ほんじよ一丁目・昭和しようわ町一丁目

葛巻くずまき村の北西。元和五年(一六一九)に村上藩堀直寄家臣堀主膳の給地。同年の見附組一ノ坪村未土免極覚(板垣義雄氏蔵)では物成合計八六石七斗余。同六年の一ノ坪村検地帳(同氏蔵)では田一一町九反余・分米一七九石六斗余、畠九町八反余・分米七八石六斗余。所付はなく名請人六一人のうち市野坪村一一人、市野坪新田七人のほか、他村からの入作者が四三人いる。正保国絵図に「一ノ坪村」とあり、高二〇六石余、村松藩領。


市野坪村
いちのつぼむら

[現在地名]酒田市庭田にわた

正竜寺しようりゆうじ村の南に位置する。一坪村・市坪村とも記した。天文七年(一五三八)小野大炊助の開村と伝える(庭田村史)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に一坪村とみえ、高一〇三石余。寛永元年庄内高辻帳では高一〇〇石余。寛文三年(一六六三)に五村で中吉田なかよしだ谷地四町五反余の草刈願を出し許された(大泉紀年)


市野坪村
いちのつぼむら

[現在地名]出雲崎町市野坪

北は船橋ふなばし村、島崎しまざき川の支流が三島丘陵の谷から出る辺りに集落がある。南は刈羽郡別山べつやま(現刈羽郡西山町)。正保国絵図には「一ノ坪村」高二〇六石余で幕府領。以降の支配の変遷神条かみじよう村と同じ。延宝五年(一六七七)の村明細帳(駒村善左衛門家文書)では戸口は四一軒・一一五人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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