日本歴史地名大系 「布施田村」の解説 布施田村ふせだむら 三重県:志摩郡志摩町布施田村[現在地名]志摩町布施田先志摩(さきしま)半島のほぼ中央にあり、東は片田(かただ)村、西は和具(わぐ)村に接する。字奥山(おくやま)・兎島(うさぎしま)・切間(きりま)に縄文・弥生遺跡があり、石器・石鏃・石錘・石斧・弥生式土器片を出土している。近世を通じて鳥羽藩領で、英虞(あご)郡に属した。享保一一年(一七二六)の村差出帳(徳川林政史蔵)によれば、高三五八・二八七石のうち浦役二石、水主米高四四・二〇七石が寛文四年(一六六四)から定引で、反畝不明の無地二・〇五五石、永荒三〇・六二二石があった。おもな小物成は水主米二四・一三三石、浦役銀三五〇匁。 布施田村ふせだむら 福井県:福井市旧坂井郡地区布施田村[現在地名]福井市布施田町九頭竜(くずりゆう)川下流域の左岸、七瀬(ななせ)川が合流する辺りに位置する。康正二年造内裏段銭并国役引付に「弐貫文(中略)建仁寺領知足院越前国布施田名之内段銭」とみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名が記され、高三九八六・四一三石とある。この石高から推定して当時の村域は、のちの布施田・内山梨子(うちやまなし)・浄土寺(じようどじ)・中野(なかの)・砂子坂(すなごさか)・池尻(いけのしり)・黒丸(くろまる)の七ヵ村を含む地域と考えられる。正保郷帳では田方三七四石に対し畠方五五四石余とあり、川沿いに位置しながら村高の約六割が畠であった。福井藩領で、文政六年(一八二三)の給人地方渡名寄帳によると、蔵入地二〇〇石のほか、本多内蔵助など四名の相給知行地であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by