帆足郷(読み)ほあしごう

日本歴史地名大系 「帆足郷」の解説

帆足郷
ほあしごう

郡の北東部、玖珠川支流のもり川と松木まつぎ川に挟まれた地域に比定される。大岩扇おおがんせん山・小岩扇こがんせん山・たから山などや松木川最上流域の日出生ひじゆう台の広大な草原地帯を含み、一部は玖珠川左岸の穀倉地帯である大隈おおくま中島なかじまをも含む。平安時代後半に成立した所領単位で、保安三年(一一二二)一一月一九日の清原通次譲状案(大友文書所収帆足文書)に「球珠郡保足郷」とみえ、散位清原通次からその嫡子惟次に譲られた。先祖相伝の所領の所在地とされる。帆足郷内の清原氏相伝の所領は、その四至が「東は限る由布堺、南は限る多和野少狩蔵南手曳松尾々立普門坊谷大路示尾並びに古後境、西は限る鷹巣鼻奈草路柴尾角牟礼鐘突堂狼越久津江辻、北は限る豊前堺」(原漢文)とされている。また治承二年(一一七八)七月八日清原道良(通良)からその子良時・家道(家通)に郷内の大隈村の一部がそれぞれ譲渡されたことが知られる(「清原道良譲状案」同文書)

豊後国弘安田代注進状では帆足郷八〇町、本家安嘉門院跡で、以下大隈久富ひさとみ名・森村片平田かたひらだ岩室いわむろ村が記載されるが、うち大隈村のほか久富名の一部は玖珠川左岸に位置する。嘉元三年(一三〇五)七月二六日には一期知行として「保定」などが堀川准后(源基子)に譲られ(「亀山上皇処分状」亀山院凶事記)、同四年六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)では「長野庄古々・山田・帆足」と記載され、山城安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)領となっている。観応元年(一三五一)一〇月二六日の田原貞広譲状(大友家文書録)では帆足郷等の村々地頭職以下を嫡子氏能(徳増丸)に譲っている。延文五年(一三六〇)八月二八日帆足道種などの濫妨を退け、帆足郷内の下地を氏能に渡すよう大友氏時が命じられている(「足利義詮御判御教書案」入江文書)。康暦元年(一三七九)一二月二四日当郷地頭職などが嫡子親貞(徳一丸)に譲られている(「足利義満袖判下文」同文書)前出の久富名などのほか窪田くぼた村・遣水やりみず名なども史料上にみえ、それぞれ個別の動きがみられるが、これらの地頭職を有する者に帆足氏・森氏らがおり、当地を名字の地としていた。森氏は郷内の角牟礼つのむれ城に在城している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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