常岡文亀(読み)ツネオカ ブンキ

20世紀日本人名事典 「常岡文亀」の解説

常岡 文亀
ツネオカ ブンキ

大正・昭和期の日本画家 東京美術学校教授。



生年
明治31(1898)年11月13日

没年
昭和54(1979)年11月29日

出生地
兵庫県氷上郡柏原町

学歴〔年〕
東京美術学校日本画科〔大正11年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝展特選(第10回)〔昭和4年〕「鶏頭花」,帝展特選(第14回)〔昭和8年〕「棕櫚

経歴
画家を志して大正5年に上京し、岡田秋嶺・小泉勝爾らの指導を受ける。6年東京美術学校日本画科に入学し、在学中に第1回中央美術展に入選。11年同校を卒業ののち日本画家の結城素明に入門、同門の俊足と謳われた。昭和3年母校の助教授(のち教授)に就任。この間、帝展にもしばしば入選・入賞、4年の第10回展に「鶏頭花」、8年の第14回展に「棕櫚」を出展し、それぞれ特選を受賞した。10年の帝展改組後は同展のみならず、九皐会や大日美術院にも出品。また、パリやバンコクで開かれた日本美術展にも参加した。日本画院の創立同人でもあり、17年には大日美術院の同人に推薦された。太平洋戦争中、郷里に疎開するが、28年再び上京し、日本橋の高島屋で個展を開催したほか、日展や新日展でも活動。日本画に洋風リアリズムを加味した花鳥画を得意とした。作品は他に「菜園初夏」「カンナ」「庭の木々」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常岡文亀」の解説

常岡文亀 つねおか-ぶんき

1898-1979 大正-昭和時代の日本画家。
明治31年11月13日生まれ。結城素明に師事。昭和3年母校東京美術学校(現東京芸大)の助教授となる。4年「鶏頭花」,8年「棕櫚(しゅろ)」が帝展で特選。12年大日美術院展に出品し,17年同院の同人となる。海外における日本美術展にも出品。花鳥画を得意とした。昭和54年11月29日死去。81歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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