常盤橋
ときわばし
小倉城下の北部、東曲輪と西曲輪を分ける紫川に架かる。慶長七年(一六〇二)細川忠興の小倉城築城に際して東曲輪を開くとき紫川に架橋、当初はたんに大橋と称したが、元禄(一六八八―一七〇四)頃から常盤橋とよんだという(「小倉市誌」など)。小倉中心部の最も重要な橋で、西橋本に門が置かれた(藩士屋敷絵図)。その建替えや修築は繰返し行われたが、洪水などで橋が流失した場合、西の三ッ門から東の宝町と髪結所との間を船で渡ったという(龍吟成夢)。元和一〇年(一六二四)「大橋」の橋柱の補修が行われ(永青文庫蔵「万覚書」同年三月一五日条)、寛永元年(一六二四)「大橋御作事」が着工(同蔵「日帳」同年八月四日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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