常磐津小文字太夫(5代)(読み)ときわづ・こもじだゆう

朝日日本歴史人物事典 の解説

常磐津小文字太夫(5代)

生年生没年不詳
江戸末期の常磐津節太夫桐生(群馬県)の人で,俗称新安,4代目文字太夫の養子で,桐生小文字太夫と呼ばれたという。番付によれば,天保8(1837)年5代目文字太夫が豊後大掾になったと同時に5代目小文字太夫となり,安政4(1857)年7月中村座の「三世相」の口上で披露されている。同年10月以後の番付から小文字太夫の名が消えているので,この年何らかの理由で離縁となったのであろうか。文久2(1862)年5代目小文字太夫を襲名し,同年暮れに離縁となり,故郷に帰ったとの説もある。ちなみに,文久2年から再び小文字太夫の名が番付に登場するが,これは6代目小文字太夫佐六であろう。<参考文献>田村成義『続歌舞妓年代記』

(安田文吉)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説

常磐津小文字太夫(5代) ときわず-こもじだゆう

?-? 幕末浄瑠璃(じょうるり)太夫。
常磐津節の4代常磐津文字太夫(豊後大掾(ぶんごのだいじょう))の養子となり,文久2年(1862)5代小文字太夫を襲名。同年離縁となり故郷の上野(こうずけ)(群馬県)桐生(きりゅう)にかえった。通称は新安,桐生小文字太夫。

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