常磐津小文字太夫(読み)ときわづこもじたゆう

世界大百科事典(旧版)内の常磐津小文字太夫の言及

【常磐津節】より

…47年(延享4)姓を関東としたが幕府より差し止められ,再度改めて常磐津文字太夫を名のり,志妻,小文字両太夫,三味線初世佐々木市蔵を連れて中村座に出演,ここに常磐津節が成立した。
[展開]
 常磐津節成立の翌年,常磐津小文字太夫は独立して富本節を創始,以後両者はつねに勢力を競うことになる。文字太夫は順調に活躍を続けたが,1768年(明和5)に立三味線初世市蔵が死没,その後継者に初世岸沢式佐が選ばれたため,佐々木派と組んだ志妻,造酒(みき)両太夫が豊名賀と,若太夫が富士岡と改姓し一派を樹立した。…

【常磐津文字太夫】より

…初世里長の富本移籍,2世兼太夫の破門などの紛争もあったが,《関の扉》《古山姥》《戻駕》のほか《小松曳》《葛の葉》《古お半》などの名作を語り,常磐津を隆盛に導いた。99年6月病床で常磐津太夫文中と改名,実子林之助に2世常磐津小文字太夫を名のらせた。(3)3世(1792‐1819∥寛政4‐文政2) 2世小文字太夫を経て1819年7月文字太夫を襲名。…

【富本】より

…豊後系浄瑠璃(豊後節)のうち,いわゆる豊後三流の一つ。1739年(元文4)宮古路豊後掾の豊後節が禁止された後,その門人の文字太夫が47年(延享4)に独立して常磐津節を創始したが,そのときワキを語っていた常磐津小文字太夫が,翌48年(寛延1)に富本豊志太夫(富本豊前)と改名して創始した。富本独立に対して松江城主松平宗衍(むねのぶ)は《長生(ちようせい)》の歌詞を与えた。…

【富本豊前】より

宮古路豊後掾の門人で初名品太夫。宮古路小文字太夫,関東小文字太夫,常磐津小文字太夫を経て,1748年(寛延1)に富本豊志太夫と名のって独立,富本節を樹立。翌49年豊前掾藤原敬親(たかつぐ)。…

※「常磐津小文字太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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