日本歴史地名大系 「常繁寺」の解説 常繁寺じようはんじ 茨城県:猿島郡猿島町逆井村常繁寺[現在地名]猿島町逆井逆井(さかさい)のほぼ中央、前山(まえやま)坪に所在。長い参道を行くと大きな銀杏と山門がある。慈雲山千手(せんじゆ)院と称し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。観音堂に千手観音を安置。寺伝によると開山は了誉。永和元年(一三七五)または永徳三年(一三八三)の創立で、千手院と称する。歴代住職の墓に「了誉上人」と刻したものがある。のち逆井城主逆井氏の菩提寺として天文五年(一五三六)に没した逆井常繁の実名をとって、常繁寺と改めた。逆井氏累代墓地の最奥にある一基に「洞誉清覚居士、天文五年三月三日」と刻してある。「逆井氏系譜」(逆井家蔵)の常繁の項には「北条氏康臣大道寺駿河守筑波合戦討死、于時天文五年三月三日、常繁妻城内ニテ自害、常繁法名見性院殿洞誉清覚常繁大居士、于時十九歳、妻法名宝樹院性誉妙厳智光大姉」、常繁の弟利光の項には「逆井兵部少輔、貫利二男、逆井城没落、関宿城主簗田出羽守晴助加関宿攻城之刻逆井江引込田畑切開為農士、兄為菩提、一寺建立、常繁寺ト号ス、起立書ニハ所之城主右衛門四郎常繁帰依ニテ常繁寺号ト有」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報