コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

平仲兼 たいらの なかかね

2件 の用語解説(平仲兼の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平仲兼 たいらの-なかかね

1248-1312 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
宝治(ほうじ)2年生まれ。建治(けんじ)3年左衛門権佐(ごんのすけ)となる。また近衛家,鷹司家の家司(けいし)をつとめる。正応(しょうおう)5年参議となり,乾元(けんげん)2年4月権中納言にすすむが翌月辞任。嘉元(かげん)3年子の仲高とともに出家した。従二位。正和(しょうわ)元年死去。65歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

平仲兼

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:宝治2(1248)
鎌倉中・後期の公卿。父は正四位下兵部卿平時仲。母は正五位下惟宗行貞の娘。正嘉1(1257)年に叙爵。民部大輔,甲斐守,勘解由次官を経て建治3(1277)年左衛門権佐に任ず。このころ近衛家,鷹司家の家司であった。父が殿上人どまりであったため,検非違使庁の官人に軽侮された。蔵人,弁官を務め,正応5(1292)年に参議に任じ公卿に列した。このときも人々の非難があったが,伏見天皇の助力によって昇進を果たした。乾元2(1303)年に権中納言に昇るが,2年後,子の仲高が吉田隆長に官位を超越されたのを恥じ,仲高と共に出家した。法名は覚浄。

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

平仲兼の関連キーワード唐橋在数植松雅恭正親町三条実興中院通繋西大路隆枝清岡輝忠滋野井実光刑部卿四位式部卿

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone