三河木綿
みかわもめん
三河国(愛知県)でつくられる綿布のこと。この地方では、江戸時代から綿の栽培が行われていたが、これでつくった綿布を三河木綿といって売り出すようになったのは明治に入ってからのことといわれる。愛知県宝飯(ほい)郡三谷(みや)町(現蒲郡(がまごおり)市)を中心とする地方で行われたのが、その初めといわれる。帯芯(おびしん)、足袋(たび)底、半纏(はんてん)、のれん、酒漉(こ)し袋などに用いられる地厚の白生地(きじ)が多い。とくに岡崎地方の三白(さんぱく)または三白木綿(三河白木綿の略)といわれる半纏、ももひきは有名である。
[山辺知行]
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三河木綿[染織]
みかわもめん
東海地方、愛知県の地域ブランド。
三河産の木綿の織物・タオル・敷き布・布団・布団カバー・布団側・毛布・ワイシャツ類・和服。三河は日本の木綿発祥の地であり、江戸時代後期には、三河木綿の縞柄や格子柄が江戸を中心に全国に知れ渡った。明治時代には三河木綿・三河縞というブランド名が全国に広まり、質の良い綿織物として今日まで受け継がれている。2007(平成19)年2月、特許庁の地域団体商標に登録された。商標登録番号は第5023103号。地域団体商標の権利者は、三河織物工業協同組合。
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みかわ‐もめん みかは‥【三河木綿】
〘名〙 三河国(愛知県)岡崎地方で産出される白木綿。この地方は、古来より
綿花が栽培されていたが、江戸時代以降、
農家の
副業として糸紡ぎが始まり、三河木綿とよばれる特産物へと発展した。
※彼女とゴミ箱(1931)〈一瀬直行〉牛めし屋と焙り出しのぢいさん「旧式な安負請に、縄暖簾や、三河木綿(みカハモメン)の暖簾がさがってゐる」
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三河木綿【みかわもめん】
愛知県三河地方産の白地綿織物の称。この地方は8世紀にワタが伝来しているが,栽培がすすめられたのは16世紀に入ってからで,江戸時代,徳川家の保護のもとに全国的に知られた。厚地,丈夫で帯芯や足袋底,染色して袢纏(はんてん),股引(ももひき),暖簾(のれん)などに使用された。
→関連項目綿織物
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三河木綿
愛知県、三河地方で生産される木綿。当地では古くから綿花の生産が盛んであったが、江戸時代以降、農家の副業として糸紡ぎ、次いで機織りが盛んになり特産品化した。白木綿にはじまり、のちに「三河縞」と呼ばれる縞や格子の柄物の生地に発展した。2007年、地域団体商標に登録。
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デジタル大辞泉
「三河木綿」の意味・読み・例文・類語
みかわ‐もめん〔みかは‐〕【三河木綿】
愛知県三河地方で産する、地厚でじょうぶな小幅白木綿。帯芯・印半纏・のれんなどに用いる。
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みかわもめん【三河木綿】
三河国(愛知県東部)で織られた木綿布をいう。生地の白木綿が主である。三河は現在確認される国産木綿の産地の中で最も古い国の一つ。《日本後紀》によると799年(延暦18)当地に漂着した崑崙人自称天竺人が綿種をもたらしたが,これは定着せず中絶したらしい。しかし700年後の1510年(永正7)には奈良で三河木綿の名が見えるのをはじめ,京都の貴族にも贈答品とされるなど,特産品としての名をはせている。 江戸初期のことは不確実だが,徳川家康が三河の出であったことから,江戸大伝馬町の木綿問屋も三河出身者に開かせたとの伝承もある。
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世界大百科事典内の三河木綿の言及
【三河国】より
…岡崎藩をはじめ周辺の藩兵の出動によって鎮圧されたが,当時の徳川斉昭,水野忠邦ら幕閣の首脳に大きな衝撃を与えた。
[産業,交通,文化]
代表的な産業としては,西三河で三河木綿がある。綿はとくに矢作川下流の平野部畑地を中心に早くから栽培が行われ,戦国末には京都に一部送られていたが,江戸開府とともに江戸へ送られた。…
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