国指定史跡ガイド 「平安宮跡」の解説
へいあんきゅうせき【平安宮跡】
京都府京都市中京区聚楽廻西(じゅらくまわりにし)町ほかと上京区千本丸太町ほかにまたがって所在する宮殿跡。指定名称は「平安宮跡 内裏跡(だいりあと) 豊楽院跡(ぶらくいんあと)」。平安京は794年(延暦13)に桓武天皇が長岡京から遷都した都。古代宮殿のなかで最も長く維持・経営された。平安宮跡の発掘調査は昭和30年代から本格的に始められ、そのなかで見つかった築地回廊跡は、内裏(だいり)であると断定する証拠となった重要な遺構で、1979年(昭和54)に「平安宮内裏内郭回廊跡」として国の史跡に指定された。平安宮の正門である朱雀(すざく)門のなかに入ると、正面に国家の正式な儀式を行う朝堂院(ちょうどういん)があり、その西側には豊楽院が位置する。院内には豊楽殿が南面して建ち、元日節会、新嘗祭・大嘗祭の節会、外国使節入朝時などの国家的饗宴が行われた。1063年(康平6)に焼失し、以後再建されることはなかった。平安宮跡内の朝堂院・豊楽院の中心部分の諸建物のなかで、遺構が確認されているのは豊楽殿だけである。跡地は1990年(平成2)に「平安宮豊楽殿跡」として国の史跡に指定されたが、その後、豊楽殿跡の北側で清暑堂跡、および豊楽殿との間を結ぶ廊跡が発見されたため、2008年(平成20)に統合され、「平安宮跡 内裏跡 豊楽院跡」と名称が変更され、追加指定を受けた。JR東海道新幹線ほか京都駅から市バス「千本丸太町」下車、徒歩約5分。