日本大百科全書(ニッポニカ) 「元日節会」の意味・わかりやすい解説
元日節会(がんにちのせちえ)
がんにちのせちえ
朝廷の年中行事。正月1日、天皇が群臣を豊楽院(ぶらくいん)(のちには紫宸殿(ししんでん))に招集して行った年始の宴会。その起源は明らかではないが、奈良時代の初期には行われている。主要な朝儀として連綿と続き、応仁(おうにん)の乱(1467~77)から近世初期にかけて中絶期間や施行されなかった年もあったが、明治維新まで約1200年間も継続した。
式の次第は、まず「諸司奏」と称する、諸国の豊作の吉兆を天皇に申し上げる儀式があり、中務(なかつかさ)省が七曜暦(七曜具注暦。日月火水木金土を入れた暦)を奉る。また宮内省が氷様(ひのためし)(氷室に納めた氷を取り出し、その厚さ薄さを天皇に報告する。厚いほどめでたいとした)と腹赤贄(はらかのにえ)(腹赤とは鱒(ます)のこと。食いかけの鱒を次々にとり伝えて食べる儀式)を奉る。ついで天皇が出御し、群臣が饗座(きょうざ)について、三献の儀がある。宴が終わって群臣は殿を下りて拝舞(はいぶ)し、禄(ろく)を賜って退出する。後世になると、天皇の出御のないことも多くなった。
[酒井信彦]