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平林城 ひらばやしじょう

日本の城がわかる事典の解説

ひらばやしじょう【平林城】

新潟県村上市(旧岩船郡神林村)にあった山城(やまじろ)。国指定史跡。戦国時代には揚北(阿賀北)地方(阿賀野川北岸地域)の有力国人領主の色部氏の居城だった。背後に加護山要害(詰めの城)をもち、殿屋敷、二の丸、三の丸、家老屋敷などのある城域を濠や土塁で囲んだ規模の大きな城郭である。もともとはこの一帯を領有していた豪族の平林氏が居城としていたが、色部氏が南北朝時代に南朝方に属していた平林氏を攻め滅ぼして、以降、色部氏代々の本拠地となった。色部氏は桓武平氏秩父氏の支流で、1180年(治承4)に源頼朝と平氏との間で行われた富士川の合戦での戦功により、頼朝から小泉庄色部条の地頭職に任じられ、越後に移り住み、色部氏を名乗った。上杉謙信の父・長尾為景が越後守護代として勢力を伸ばしていたころ、色部氏は村上城(村上市)を拠点としていた本庄氏や、竹俣城(新発田市)の竹俣氏らとともに揚北衆(阿賀北衆)とよばれ、たびたび為景に反抗した。永正年間(1504~21年)、城主の色部昌長は越後守護上杉房能に従い、守護代の長尾為景と対立。平林城は1508年(永正5)5月、鳥坂城主の中条氏や築地氏など為景方の攻撃を受けて落城、色部氏は降伏して長尾氏に帰属した。その後、色部氏(色部)は上杉謙信の重臣として活躍した。1598年(慶長3)、上杉景勝の会津移封にともない、平林城は廃城となった。本丸、二の丸、三の丸などの曲輪(くるわ)跡には土塁、堀、井戸跡などの遺構が現存するほか、背後の加護山要害の遺構も残っている。JR羽越本線平林駅から徒歩約20分。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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