平泉城跡(読み)ひらいずみじようあと

日本歴史地名大系 「平泉城跡」の解説

平泉城跡
ひらいずみじようあと

[現在地名]大口市平出水 城の脇

羽月はつき川とその支流平出水ひらいずみ川に挟まれた、標高二三九メートルを最高地点とするシラス台地に築かれた山城平和泉ひらいずみ城とも記される。当地は島津氏一族山田氏の庶家宇宿氏の本拠だったとみられる(雲遊雑記伝)。文明六年(一四七四)の行脚僧雑録(旧記雑録)には「平和泉仁宇宿左馬助」とある。またこの前後に守護島津忠国の弟豊久(義岡氏祖)が平泉を与えられており、当城に居住、同一六年に日向飫肥おびで戦死している(義岡氏系図)。明応八年(一四九九)島津忠明(島津忠国の弟有久の孫、大島氏祖)が大口城に入ってから当城はその統治に組込まれ(「大島家系図」大口市郷土誌)、大口城主が肥後相良氏、菱刈氏と代わるとそれに従った。

永禄一〇年(一五六七)一一月、島津氏による菱刈攻撃が開始され、同月二三日馬越まこし(現菱刈町)が攻略されると、翌二四日菱刈隆秋は平泉城などを捨て大口城に軍勢を集結させた(「島津貴久譜」旧記雑録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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