改訂新版 世界大百科事典 「平田靱負」の意味・わかりやすい解説
平田靱負 (ひらたゆきえ)
生没年:1704-55(宝永1-宝暦5)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…江戸中期,宝暦年間(1751‐64)に薩摩藩が幕府の命で木曾三川(木曾川,長良川,揖斐川)治水工事を行った際,引責自刃など多数の犠牲者を出した事件。1753年藩主島津重年は御手伝普請を命ぜられるや家老平田靱負(ゆきえ)を惣奉行に任命し,上下1000人近い役人を現地に派遣して工事に当たらせた。幕府からは目付,普請役,勘定方,美濃郡代が派遣され,交代寄合美濃衆で水行奉行の高木三家も立会いを命ぜられ,ともに工事を厳しく監督した。…
※「平田靱負」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」