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宝暦治水事件 ほうれきちすいじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宝暦治水事件
ほうれきちすいじけん

江戸時代,宝暦4 (1754) 年から翌年まで幕命により薩摩藩が木曾,長良,揖斐 (いび) の3川の治水工事を行い,その完成後工事指揮者が引責自殺をした事件。これら3川はたびたび洪水に見舞われるため,幕府は宝暦3年薩摩藩に川普請手伝いを命令。薩摩藩は家老平田靭負 (ゆきえ) を総奉行として藩士下人など約 1000名を派遣して工事にあたらせた。しかし財政難に苦しむ薩摩藩にとっては工事自体が大きな負担で,そのうえ難工事であったため予定の倍額約 40万両の出費となった。また幕府側役人との対立もあって藩士 51名が自殺。総奉行平田は工事完工検分の終った同5年5月責めを負って自刃。

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百科事典マイペディアの解説

宝暦治水事件【ほうれきちすいじけん】

1754年―1755年(宝暦4年―5年)鹿児島藩が行った木曾・長良・揖斐(いび)の木曾三川治水工事で多数の犠牲者を出した事件。幕府に川普請を命ぜられた鹿児島藩は,膨大な工事費や幕吏との対立に苦しみ,藩士50余名の自刃と30余名の病死者を出して工事を完成。
→関連項目羽島[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうれきちすいじけん【宝暦治水事件】

江戸中期,宝暦年間(1751‐64)に薩摩藩が幕府の命で木曾三川(木曾川長良川揖斐川)治水工事を行った際,引責自刃など多数の犠牲者を出した事件。1753年藩主島津重年は御手伝普請を命ぜられるや家老平田靱負(ゆきえ)を惣奉行に任命し,上下1000人近い役人を現地に派遣して工事に当たらせた。幕府からは目付,普請役,勘定方,美濃郡代が派遣され,交代寄合美濃衆で水行奉行の高木三家も立会いを命ぜられ,ともに工事を厳しく監督した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宝暦治水事件
ほうれきちすいじけん

江戸時代中期、幕命による木曽(きそ)川治水工事で薩摩(さつま)藩が多くの犠牲者を出した事件。1753年(宝暦3)12月、幕府は薩摩藩に美濃(みの)・伊勢(いせ)・尾張(おわり)の川々御普請(ごふしん)の御手伝いを命じた。薩摩藩は家老平田靭負(ひらたゆきえ)を総奉行(そうぶぎょう)に、大目付伊集院十蔵(いじゅういんじゅうぞう)を副奉行に任じ、藩士以下約1000人を派遣した。工事は木曽・長良(ながら)・揖斐(いび)三川に及び、54年2月着工、55年3月竣工(しゅんこう)した。193村にわたる広域で、四工区に分けられ、幕府の厳しい監督のもと、春の応急工事と秋の本格工事が行われた。油島(あぶらじま)締切堤や大榑(おぐれ)川洗堰(あらいぜき)の難工事のため、工費は14万~15万両の予想をはるかに上回り、40万両に及んだ。藩は上方(かみがた)から約22万両借り入れ、残りは藩内の増税と借り上げでしのいだ。この工事は藩財政に壊滅的な打撃を与えたが、幕府の意図もここにあった。以後、奄美(あまみ)大島などの黒糖搾取が強化されたのもこのためである。幕府の横暴、過重な労働から工事の犠牲者は割腹55名、病死34名、計89名(うち4名は幕府側)に及び、平田靭負は5月検分引き渡し終了後、自刃した。のちに彼らは、この工事により多大の恩恵を受けた濃尾(のうび)平野の輪中(わじゅう)地帯の人々から薩摩義士とよばれ感謝されるようになった。[原口 泉]

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