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平田 東助 ヒラタ トウスケ

20世紀日本人名事典の解説

平田 東助
ヒラタ トウスケ

明治・大正期の政治家,伯爵 内大臣;農商務相;枢密顧問官;貴院議員。



生年
嘉永2年3月3日(1849年)

没年
大正14(1925)年4月14日

出身地
出羽国米沢(山形県米沢市)

旧姓(旧名)
伊東

学歴〔年〕
大学南校

学位〔年〕
法学博士〔明治41年〕

経歴
米沢藩医・平田亮伯の養子となる。明治4年大学小舎長となり、岩倉具視の欧米巡遊に随行、ドイツのハイデルベルヒ大学などで法律・政治を学び、9年帰国。内務を経て、11年大蔵権少書記官太政官権少書記官となり、15年伊藤博文の渡欧に随行。以後、太政官大書記官、法政局参事官、同部長を経て、27年枢密院書記官長、31年法制局長官を歴任。この間、23年貴院議員となり、幸倶楽部に属した。31年枢密顧問官、34年第1次桂内閣農商務相、41年第2次桂内閣内相をつとめ、大正6年臨時外交調査会委員、臨時教育会議総裁、8年宮内省御用掛、11年内大臣となった。同年伯爵。

出典|日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について | 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和の解説

平田 東助
ヒラタ トウスケ


肩書
内大臣,農商務相,枢密顧問官,貴院議員

旧名・旧姓
旧姓=伊東

生年月日
嘉永2年3月3日(1849年)

出身地
出羽国米沢(山形県米沢市)

学歴
大学南校卒

学位
法学博士〔明治41年〕

経歴
米沢藩医・平田亮伯の養子となる。明治4年大学小舎長となり、岩倉具視の欧米巡遊に随行、ドイツのハイデルベルヒ大学などで法律・政治を学び、9年帰国。内務を経て、11年大蔵権少書記官兼太政官権少書記官となり、15年伊藤博文の渡欧に随行。以後、太政官大書記官、法政局参事官、同部長を経て、27年枢密院書記官長、31年法制局長官を歴任。この間、23年貴院議員となり、幸倶楽部に属した。31年枢密顧問官、34年第1次桂内閣農商務相、41年第2次桂内閣内相をつとめ、大正6年臨時外交調査会委員、臨時教育会議総裁、8年宮内省御用掛、11年内大臣となった。同年伯爵。

没年月日
大正14年4月14日

家族
孫=三島 義温(尚友倶楽部理事)

出典|日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について | 情報

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