平荘湖古墳群(読み)へいそうここふんぐん

日本歴史地名大系 「平荘湖古墳群」の解説

平荘湖古墳群
へいそうここふんぐん

加古川の北西岸に接する東の地蔵寺じぞうじ(九六メートル)、西の升田ますだ(一〇五・二メートル)、これらの北の飯盛いいもり(二一五メートル)、この三つの山に囲まれた東西約一・五キロ、南北約一キロの土地には、山腹から山麓にかけて多数の古墳が分布し、かつては一〇〇基以上あったと推定される。年代は五世紀前半から六世紀末に及び、これらを平荘湖古墳群と総称する。昭和四五年(一九七〇)この一帯に工業用水ダムと貯水池である平荘湖が完成した。そのため多くの古墳が湖底に没したが、それに先立つ昭和三七年から同四一年にかけて、発掘調査が行われた。

〔池尻一六号墳〕

飯盛山南麓の半島状に突出した小丘裾につくられた六世紀後半の方墳。稚児窟ちごがいわやの通称をもつ。調査当時の墳丘は南北三八・五メートル、東西四二メートル、高さ約四メートル。頂部を削平し、弁天祠が建てられていた。かつては濠をめぐらし、それを利用して弁天池が掘られたため、もとの墳丘はさらに大きかったと考えられる。南西に開口する両袖式の横穴式石室で全長一三・八メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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