平賀源内旧宅
ひらがげんないきゆうたく
真覚寺の向いにある。源内は用心堀にあった高松藩御蔵の蔵番白石茂左衛門の子として、享保一三年(一七二八)志度浦で生れ、延享二年(一七四五)当屋敷に移り住んだという。名は国倫、通称を源内という。本草学・戯作・製陶・エレキテルの研究などに幅広い才能を発揮、鳩渓の号のほか作家として風来山人・天竺浪人・福内鬼外、俳諧では李山と号した。寛延二年(一七四九)父の死去により蔵番を継いだが、禄は一人扶持切米三石であった(高松藩分限帳)。この頃、白石姓を平賀に改姓したといわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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