日本歴史地名大系 「志度村」の解説
志度村
しどむら
元和三年(一六一七)六月日の生駒家家老連署定書(志度寺文書)に「当院者東西之阡陌上下之着岸也。是故都鄙之貴賤此砌来臨往来之道俗此処徘徊」とあって、船舶の往来が多く繁栄の様子をうかがわせる。寛永国絵図には志度庄・天野・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
元和三年(一六一七)六月日の生駒家家老連署定書(志度寺文書)に「当院者東西之阡陌上下之着岸也。是故都鄙之貴賤此砌来臨往来之道俗此処徘徊」とあって、船舶の往来が多く繁栄の様子をうかがわせる。寛永国絵図には志度庄・天野・
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