平野友輔(読み)ヒラノ トモスケ

20世紀日本人名事典 「平野友輔」の解説

平野 友輔
ヒラノ トモスケ

明治・大正期の民権運動家,医師 衆院議員。



生年
安政4年1月9日(1857年)

没年
昭和3(1928)年4月3日

出生地
相模国(神奈川県藤沢市)

学歴〔年〕
東京大学医学部別課卒

経歴
東京大学医学部別課に学んだのち、明治17年八王子で開業。その傍ら、自由民権運動に身を投じ、自由党に加盟して各地を遊説した。この頃、三多摩の名士石坂昌孝の長女美那子と婚約するが、彼女と北村透谷の恋愛沙汰のために破談となった。のち郷里藤沢に戻り、22年自宅に医院を開いて地域医療に尽力。神奈川県公正倶楽部の結成に加わり、35年同倶楽部の推薦を受けて衆院議員となった。大正11年神奈川県刷新倶楽部委員長に就任。また、敬虔なキリスト教徒であり、女権の拡張を主張したことでも知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平野友輔」の解説

平野友輔 ひらの-ともすけ

1857-1928 明治-大正時代の医師,政治家
安政4年1月9日生まれ。平野恒の父。東京八王子で医業のかたわら,自由党員として活動。明治22年故郷の神奈川県藤沢にかえり,自由政談演説会を主催し,神奈川県公正倶楽部(クラブ)の創立にくわわる。キリスト教に入信し,女性の権利拡張などにもつとめた。35年衆議院議員。昭和3年4月3日死去。72歳。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む