日本歴史地名大系 「平野町神明宮跡」の解説 平野町神明宮跡ひらのまちしんめいぐうあと 大阪府:大阪市東区内平野町二丁目平野町神明宮跡[現在地名]東区内平野町二丁目・船越町二丁目江戸時代の内平野(うちひらの)町二丁目にあった。祭神は天照大神で、八幡神・春日明神を配祀(摂津名所図会)。旧村社。夕日(ゆうひ)神明(跡地は現北区)・朝日(あさひ)神明とともに大坂三神明の一で、社殿が南向きのため日中(ひなか)神明と称されたが(近来年代記)、単に神明宮といえば当社をさす。もと蝋燭町(ろうそくまち)神明とよばれたが(蘆分船)、町名の変更に伴い平野町神明とよばれるようになった。大神宮とも称されたらしい(摂陽群談など)。後陽成天皇の頃伊勢北黒田(きたくろだ)の人が夢に日月の御影を見、大坂に鎮座あるべしとの神託により当地に勧請したという(蘆分船)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by